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ウユニ基本情報

ウユニ市概要

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アントニオ・キハーロ郡

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アントニオ・キハーロ郡及び

ウユニ市の旗

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アントニオ・キハーロ郡及び

ウユニ市の旗章

ウユニ市はボリビア南西部にあるポトシ県アントニオ・キハーロ郡の郡都で、行政区の範囲は西経66度15分~67度15分、南緯19度20分~21度00分、標高は3655~5000mの間にまたがっています。ウユニ市は西経66度52分、南緯20度18分に位置しています。

北側はオルロ県のパンマ・アウジャガスとサントゥアリオ・デ・キジャカス、東側はポトシ県のウルミリ、トマベ、コタガイタ、南側はアトチャ、西側はコルチャ・カー、タウア、サリーナス・デ・ガルシ・メンドーサの各行区に囲まれています。

ウユニ市はウユニ塩湖から東へ5kmに位置し、冬には強い風に襲われ、周辺の気温はー20℃にもなります。

ウユニ人の事を「ウユネンセ」と呼び、2012年の国税調査による人口は2万9672人(男性1万4504人、女性1万5168人)ですが、これは2001年の国税調査に比べて約60%増となっています。

就業者の職種比率は農業・畜産・狩猟・漁業・農業30.8%、商業・輸送・保管業23.8%、その他のサービス22.6%、鉱業・炭化水素関連業4%、建設業8.2%、製造業4.5%、指定業種無し4.0%、職種分類外2.5%、電気・ガス・水道・廃棄物処理業0.2%となっています。果たして観光業はどこに入っているのでしょうかね?

ウユニ塩湖等を観光資源とした観光需要増加により、2011年7月11日にホージャ・アンディーナ・デ・ウユニ(ウユニ・アンデスの宝)空港がエボ・モラレス大統領の指示により開港し、2016年には陸路もラパス~ウユニ間が完全アスファルト舗装の新道として完成した事で、以前に比べれば随分とアクセスがし易くなりました。日本から来られた方々にとってはそれでもやはり不便のようですが、ウユニはボリビア人にとっても辺境の地ですし、あまり行きやすすぎるとこれまた価値が下がってしまうと言うもの。

2014年以降、ウユニは国際ダカール・ラリー大会においてルートの一部にも採用されています。

塩湖内をコースとした年もありましたが、ラリーが開催されるのは毎年1月。つまり雨季なわけで、水が塩湖内に張っているとレースが出来ずにその区間は中止となる為、最近は塩湖内はコースとして採用されていません(2019年大会はペルー国内のみでの開催予定)。

ダカール・ラリー以外にもスピードレースが行われた事もありますが、これは宣伝もあまりなかったので開催があった事すら知らない人がほとんどだと思います。

2017年には映画スターウォーズVIIIの撮影が塩湖内で行われましたが、一般人は事後で撮影が行われた事を知り、また当局がその際に徴収したらしい撮影場所代の会計処理が不透明だったために、関係者だけの小遣い稼ぎだと言った批判の声が上がったり、一般人からは撮影自体にもあまり肯定的な声が聞こえてきませんでした。

ウユニ市はウユニ塩湖やウユニ市の南西部にあるエドゥアルド・アバロア国立アンデス自然保護区へ向かう観光拠点となっている他、市郊外には19世紀後半の機関車が見られる「列車の墓場」があったり、2018年にはウユニ駅裏に鉄道博物館が作られました。

 

​また周辺ではボリビアの南西地方であるアンデス南部の展示を見せる博物館もあり、古生物のオオナマケモノの化石、チュジュパスの土器やミイラが展示されています。

 

ドイツ技術の時計

ウユニを通過した人は誰もがメインストリートにある時計塔を記憶にとどめているはずです。この時計台はウユニ市のシンボルとして建てられたもので、ボリビア人時計職人のミゲル・バルガスが、ドイツのハンブルクにあるオスカーとメイヤーの家から輸入したものを組み立てたものです。そして1930年4月20日に時を刻み始めました。公共の建物に公共の時計が取り付けられている、そんなものがある都市は、当時のボリビアにはほとんどありませんでした。ウユニ市役所のすぐ側に位置し、この時計台を切り取った風景はウユニを紹介する際に最も使われるイメージとなっています。2016年には、この時計台は国家文化遺産と宣言されました。ちなみに現在はこの時計台の中が観光警察の交番となっていますが、警察の人員不足でなかなかお巡りさんは常駐していません。

ウユニの歴史

「鉄道の街とウユニ塩湖」

 ウユニ市は1889年7月11日、アニセト・アルセ・ルイス大統領の時に、政府決議第1条「アオファガスタからプラカーヨへの道610km地点に、”ウユニ市”の名において都市計画を立案しそれに沿った市の創設を許可する。」によって創設されました。その目的はアントファガスタへの接続となる鉄道駅の建設し、ここを通してボリビアの鉱物を輸出する事でした。
 (アオファガスタ:現在はチリ領となっている太平洋岸にある港町。)

 (プラカーヨ:現在は閉山しているが、ウユニ市から東へ少し行った所にある、当時としては最新技術を取り入れた銀山。)

そこから長い鉄道の歴史は始まり、1890年11月20日、ボリビアで最初の鉄道がチリからウユニ駅まで作られました。車両基地創設により駅は増強されましたが、90年代の国鉄(ENFE)民営化により鉄道時代は終わりを迎えました。そして鉄道は外国の手に渡り、何千人もの労働者が路頭に迷う事になりました。

 ウユニが新たな活路を見出すのは、車両基地閉鎖後でした。

鉄道の街は車で塩湖まで30分の所に位置し、観光旅行はここから塩湖の絶景へと向かいますが、塩湖の観光需要は90年代の終わりから21世紀初頭にかけ増え始めたばかりで、今日ではボリビアの最も重要な観光資源の一つとなりました。

「イラリオン・ダザの死」

 

1894年2月27日、元大統領のイラリオン・ダサがウユニの鉄道駅前で暗殺されました。

この元国家元首は、彼への太平洋戦争敗北と国の疲弊責任を主張する敵対者と対話する為にボリビアへ戻っているところでした。

彼の死はこれらの批判者によるもので、亡命先から持ち帰っていた文書の中には、ボリビアが太平洋へのアクセスを失う事となった戦争の本質に関連した国家秘密が含まれていた、と歴史は語っています。

ウユニの墓地には、この高官を偲ぶ記念碑が立っています。

「ボリビア最愛の娘」

1983年7月7日、エルナン・シーレス・スアソ大統領政権の最高令第19645号に基づき、ウユニ市を「ボリビア最愛の娘」と宣言しました。 これはチャコ戦争中におけるウユニ市民の担った役割がこの名を授かるに値する価値があったためで、その時、市民、特に街の女性達は鉄道駅にて、パラグアイとの戦争に向かう道中の全ての兵士に食料、衣服、防寒着を与え、その上人道支援も行いました。

1989年、ビクトル・パス・エステンソーロ大統領もウユニを「功績ある市」と名付け、前述の行いを認識しました。

「万歳、わが故郷ボリビア」を作ったウユニ人のルーツ

 

クエッカ曲「万歳、わが祖国ボリビア」の作者アポリナル・カマチョはウユニで生まれました。

この作曲家は、多くの人が第二ボリビア国歌と考えているこの有名な歌により、全国的に覚えられています。

「ウユニへとつながる全ての道」

 

この中間地帯にある街へ行くにはいくつかの方法があります。

国内の他都市と結びつくポトシとオルロへの道はすでに舗装されており、所要時間は3~4時間となっています。

列車での旅はオルロとアルゼンチン国境にあるビジャソンから出ています。

「列車の墓地」

 

ウユニの郊外にある「列車の墓地」は、動かなくなりそうな機関車や使わなくなったり何らかの損傷があったりする貨車の廃車場として生まれました。国鉄民営化後にはこの場所は真の放置された地となりましたが、旅行者が撮った写真のおかげで少しずつその人気が高まり、塩湖を目的とした観光客の注目を集めるようになりました。そして今日では、ウユニに来た人にとって必須の訪問地となっています。

「塩のホテル」

 

塩湖ブームが始まった頃の年、塩湖内の平地にホテル建設が始まり、観光客数の増加は問題を引き起こし始めました。それはこれらのホテルに宿泊した訪問者が残した有機廃棄物です。周辺住民からのいくつもの抗議と政府の介入の結果、最終的にこの種の建設物は塩湖の岸より上にのみ建設許可され、人間の出す廃棄物が塩湖をいずれの形でも汚染しないと保証する事、と決められました。

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ウユニ市役所と時計台

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鉄道大通りにある

チャコ戦争の英雄記念像

ウユニの語源

ウユニの語源についてははっきりとしていないませんが、現在最も有力な説とされているのは、アイマラ語で「集結」を意味する「ウユ」と「地点」を意味する「ニ」が合わさって「ウユニ」となり、「集結地点」を意味するのではないかと言うものです。

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ウユニ市の街明かりと星空

ウユニの地勢

ウユニ周辺におけるアルティプラーノ(アンデス高地平原)の地勢は次の3つに分類されます。

 

山岳地帯:

フライレス山脈の全ての山岳地帯を含み、尾根による分断や孤立した丘がある。そこは地表面にわずかな植生と土壌がかぶさっただけの岩山が露出し、険しい傾斜の起伏を有する。

コルヴィオ:

氷河の形成プロセスに起因し、群山、麓、丘陵地帯または他の地質学的地層の山腹に見受けられる。斜面が25~45度の高い山腹によって特徴付けられ、海抜3750~4200mの場所にある。下の方の斜面は傾斜角25度以下の切り立った岩山に位置し、海抜3700~3850mの場所にある。

 

沖積平野:

第四紀の沖積過程がもたらしたもので、この地域には2つの河川層がある。平坦な土地から僅かに波打った丘陵、砂質のロームテクスチャ、深度から中程度の深度の土壌、初期の土壌の発達を示す高い沖積段丘として位置する平野。 そしてウユニ塩湖の内流域に形成された低い堆積段丘は高い塩分と植生の観点から不毛の地となっている。

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ウユニ展望台から見たウユニ市と塩湖

ウユニの気候

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